世に義民として知られる宗吾は、本名を木内惣五郎といい、下総国佐倉藩公津村に慶長17年(1612)に誕生した。
公津村の名主を務め、さらに佐倉藩389ヶ村の名主総代・割元名主であった。正保元年(1644)から続いた大飢饉では、多くの農民は塗炭の苦しみに喘ぎ、租税や年貢米の滞納が続出した。惣五郎は私財をなげうって救助米を施し、藩主堀田正盛から賞賛されて苗字帯刀を許された。
しかし、正盛の嫡子堀田正信が家督を継いだ後、さらなる増税となり、過酷な年貢の取り立てが行われた。
承応元年(1652)秋に襲来した暴風雨で農作物は全滅であった。農民の中には一家離散や餓死する者も出た。
名主たちは農民を救済し、年貢減額を藩に願い出たが、藩では増税断行の強い態度を弛めなかった。代表名主たちは江戸へ出て嘆願書を佐倉藩上屋敷に差し出し、さらに老中久世広之に願い出たがお取り上げにはならなかった。