惣五郎には六人の子供がおり、幼い四人は共に処刑されたが、長女と次女は直訴前に水戸領内の名主へ嫁いでいたため刑を免れた。後に佐倉藩から木内家の再興が認められ、次女ハツが公津村の実家に戻り、利左衛門を婿として木内家を継いだ。
その後、堀田家歴代藩主がかつての失政を悔い、惣五郎親子の供養を行っている。宝暦二年(1752)の百回忌に「涼風道閑居士」の法号を、寛政三年(1791)の百四十回忌には「徳満院」の法号と石碑を寄進して冥福を祈った。文化三年(1806)には惣五郎の子孫に田高5石余りの土地を与えた。
子孫は現在でも続いており、惣五郎の生家は「宗吾旧宅」として知られている。